マイケル・ロバーツ

マイケル・ロバーツ博士(ロバーツ・カンパニーズ会長マイケル・ロバーツ博士
会長
ザ・ロバーツ・カンパニーズ

マイケル・V・ロバーツ閣下は古典的なアメリカ人起業家である。中流階級の勤勉な両親のもとに生まれる。父ビクター・ロバーツは1974年からロバーツ・カンパニーの取締役副社長を務める。第二次世界大戦の退役軍人であり、39年間アメリカの郵便局で働いていた。セントルイスの公立学校で教育を受け、大学、ロースクールを経て、アメリカ有数のビジネスマンとなった。生まれながらのリーダーであり、学者・アスリートであったロバーツ博士は、大学では生徒会副会長、学内の黒人大学協会(Association of Black Collegians)の創設者、カッパ・スクローラー・プレッジクラス(Kappa Scroller Pledge Class)の会長、学生新聞の編集委員、大学学生部長の特別補佐官を務め、テニス・バスケットボール両バーシティ・チームのキャプテンを務めて州チャンピオンになった。リンデンウッド大学バスケットボール殿堂入り。ロー・スクール在学中、学生法曹協会に選出される。ロースクール卒業前には、フランスのストラスブールにある国際人権研究所(1973年)およびオランダのハーグにある世界法廷のハーグ国際法アカデミー(1972年および1973年)の夏季特別研究プログラムの参加者に選ばれた。

1971年リンデンウッド大学で理学士号、1974年セントルイス大学ロースクールで法学博士号を取得。リンデンウッド大学とモリス・ブラウン・カレッジから名誉法学博士号を授与されている。また、トゥガルー・カレッジから名誉人文文学博士号を授与されている。

1974年に正式に事業を開始したロバーツ博士は、兄でありビジネス・パートナーでもあるスティーブンと共に、自身の出身地であるブラック・アメリカン・コミュニティへの強いコミットメントを持ち続けた。セントルイスの中心部に本社を構え、過去45年にわたる彼の努力は、11,000人以上の雇用と起業の機会を創出し、経済活動のレベルを高め、アメリカ全土の都市におけるブラック・アメリカン・コミュニティの生活の質を向上させた。